常設展示(12変わり行く風景)

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ページ番号1001836  更新日 平成29年9月15日

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出来事
昭和27年(1952) 江戸川町を流山町と改称
昭和31年(1956) 今の松ヶ丘に住宅500戸が建設される
昭和32年(1957) 江戸川台団地の造成開始
昭和37年(1962) 江戸川改修工事で、流山地区の家屋移転
昭和42年(1967) 市制施行、県下20番目の市となる
昭和48年(1973) 武蔵野線開通、南流山駅ができる
昭和60年(1985) 流山市域の常磐自動車道開通

1.変わり行く風景

展示風景の写真

 合併後の流山町は、江戸川台団地や松ヶ丘団地などの開発が進み、首都圏のベッドタウンとして急激に人口が増加し、昭和42(1967)年県下で20番目の市制が施行されました。人口42,649人でした。
 その後もJR武蔵野線や常磐道などもでき、人口の流入は続き、多くの森林や田畑は住宅地へと変わりました。それから現在にいたるまで、流山は日々その姿を変えています。

2.大型住宅団地の誕生

大型住宅団地の写真

 昭和30年代にはいっても2万人に満たなかった流山町の人口が急激に増えはじめたのは、町内に大型住宅団地がつくられてからです。
 まず昭和31年に、民間の会社によって南柏駅近くに500戸の住宅団地の建設がすすめられ、後に松ヶ丘となりました。同じ頃千葉県住宅協会(千葉県住宅供給公社)により、東武野田線初石駅―運河駅間に計画された江戸川台団地は、総面積約28万坪、住宅2,000余戸を建設、総工費19億円をかけて完成されました。流山町をあげての大事業であり、完工式が行われたのは、用地買収が開始されたから8年後の昭和38年のことでした。

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生涯学習部 博物館
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