常設展示(4 江戸幕府と流山)

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ページ番号1001828  更新日 平成29年9月15日

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出来事
慶長年間(1595~1615) 下総の牧が小金牧と佐倉牧に整備される
元和7年(1621) 利根川が銚子口に流され、ほぼ現在の流路となる
寛永18年(1641) 江戸川の開削が完了する
享保10年(1725) 徳川吉宗が小金原で御鹿狩を行う
安永10年(1781) 流山村ほか11か村が逆川の堀継願を提出する
天保7年(1836) 逆川の開削完成、坂川に改称

1.大地に刻まれた記憶

展示資料の写真

 慶長8年(1603)年、江戸に幕府が開かれます。政治の中心地に近くなったことは、流山に少なからず変化をもたらしました。
 流山にとってもっとも大きな変化は、江戸幕府による利根川の東遷工事により、新たに江戸川が開削されたことです。江戸周辺へと続く江戸川の左岸に位置するようになったことにより、流山は船による交通運輸の利便を得ることとなります。
 また、江戸川の河岸に続く陸路も流山のにぎわいに花をそえました。
大地に刻まれ、流山を形づくってきたこれらの川や古道は、今も往時をしのばせてくれます。

2.小金牧に境する村々

展示風景の写真

 古くから名馬の産地として知られていたこの地方では、馬の放牧が行われていました。江戸幕府は軍用馬を育てるため、下総台地に幕府直轄の小金牧と佐倉牧を置きます。
 小金牧は、北は現在の野田市から南は千葉市にまでおよぶ広大な牧で、さらに五牧に分けられていました。流山市域の東側の村々は、小金牧のうちの上野牧と高田台牧に含まれます。
 小金牧周辺の村々は、馬の捕獲や牧で将軍が狩猟を行うさいの人足にかりだされるなど、牧にかかわる負担をしいられました。
 また、小金牧と牧に境する村の間には、野馬除土手や野馬除堀が見られます。

3.筆と墨が伝えた村の暮らし

展示資料の写真

 江戸時代、領主はその領内を把握し、とどこおりなく治めるためにさまざまな文書を村に下し、また村役人に報告を命じました。領内の人々も、農業経営のことや村のきめごとなど、さまざまなことを記録にとどめました。
 幕末の記録によると、今の流山市域はおよそ40の村に分かれています。大半が天領(幕府直轄領)と旗本領でしたが、駿河国(静岡県)本多田中藩の飛地領が4か村ありました。
 これらの大量に残された古文書が、土地に刻まれた江戸時代のなごりとともに、当時の村の様子を私たちに伝えてくれます。

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