常設展示(1 掘り出された流山)

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ページ番号1001825  更新日 平成29年9月15日 印刷

出来事
約3万年前 若葉台遺跡から石器が出土(市内最古の遺跡)
約1万3千年前 桐ヶ谷新田第1遺跡から石器が出土
約6千年前 最も海進が進み、流山は海辺の地に
約5千年前 中野久木谷頭遺跡に市内最大の集落跡
約3千年前 上新宿貝塚・三輪野山貝塚などができる
約2千年前 加村台遺跡に環濠をともなう集落跡

1.ローム層の中から

桐ヶ谷新田第1.遺跡出土の石器の写真

 人類が誕生してから約1万3千年前までを旧石器時代と呼んでいます。猿人・原人の時代を前期旧石器時代、旧人の時代を中期旧石器時代、新人の時代で約3万年前から約1万3千年前までを後期旧石器時代といいます。
 約2万年前はヴュルム氷期の最寒期にあたり、カラマツなどの針葉樹林が茂り、ナウマンゾウやオオツノジカなどがいました。
 流山に残された人類最古の足跡は、若葉台遺跡の立川ローム層10層から出土した石刃です。そのほかに4つの文化層も確認されています。
 また、桐ヶ谷新田第1遺跡では3.層から、小形の槍先型尖頭器やナイフ形石器などが見つかっています。

2.狩猟・採集の時代

中野久木谷頭遺跡出土の縄文土器の写真

 約1万3千年前にヴュルム氷期が終わり、気候はしだいに温暖化します。それにともなって植物や動物も変わり、食料の対象が変わったことによって、道具も変化します。狩猟のための矢じりや、植物などをすりつぶすための石皿や磨石などが使われるようになりました。また、土器が出現し、食料の煮沸用・貯蔵用として発展します。この土器には縄目の文様があるので縄文土器と呼び、この時代を縄文時代といいます。
 流山は海水面の上昇による海進のために、海辺の地となります。とくに最も海進があった前期の遺跡が多く、また、後・晩期には上新宿貝塚や三輪野山貝塚などのような馬蹄形貝塚ができています。

3.米作りのはじまり

弥生時代の村の様子(加村台遺跡の模型)

 紀元前300年頃は現在よりも気温が2~3度低い時代です。そのため縄文時代のような狩猟・採集を中心とした暮らしだけでは生活できず、中国大陸や朝鮮半島から伝わった稲作も行われるようになりました。この時代を弥生時代と呼んでいます。
 また、中国大陸や朝鮮半島からは稲作の技術だけでなく、青銅器や鉄製品などがもたらされ、弥生文化に影響を与えています。
 流山では加村台遺跡が弥生時代を代表しています。加村台遺跡からは竪穴式住居跡のあった周辺から集落を守るためと考えられる溝跡が発見されていて、吉野ヶ里遺跡で知られる環濠集落の可能性もあります。

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