常設展示(11 戦争の時代から民主主義の世の中へ)
年 | 出来事 |
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大正14年(1925) | 陸軍糧秣本廠流山出張所が設置される |
昭和16年(1941) | 尋常高等小学校など、国民学校と名称変更 |
昭和16年(1941) | 太平洋戦争始まる |
昭和20年(1945) | 日本がポツダム宣言受諾、無条件降伏する |
昭和22年(1947) | 新川中学校・流山中学校・八木中学校が開校する |
昭和26年(1951) | 新川村・流山町・八木村が合併して江戸川町となる |
1.戦争と人々
明治に徴兵令が施行され、近代的な軍隊をもってから、第二次世界大戦後、憲法で戦争を放棄するまで、何度もの戦争があり、人々の生活に直接の影を落としました。特に第二次世界大戦の末期には、日常生活用品や食糧が不足して、生活はきわめて不自由なものでした。
流山の軍事的な施設としては、東京から陸軍秣倉庫が移転し、現流山9丁目に陸軍糧秣本廠流山出張所(通称流山糧秣廠)ができました。 また、現在の駒木台と隣接する柏市柏の葉地区に広がる陸軍柏飛行場がありました。なお、終戦前後には、流山は都心から疎開してくる人で若干人口が増えています。
2.一町二村の合併
終戦後、GHQの指令によって、軍国主義の撤廃と、民主主義化が進められましたが、戦争で荒れた人々の生活は大変苦しいものでした。また荒廃した地方の財政を立て直すため、全国的に町村の合併が進められました。
昭和25(1950)年、野田町が近隣の村を合併して野田市となったのをきっかけに、流山町・八木村・新川村・小金町が合併促進協議会を設置しました。しかし小金町は離脱、また八木村、新川村の一部には反対もありましたが、昭和26年4月1日、一町二村が対等合併し、江戸川町が誕生しました。
なお、翌年町名は、東京都江戸川区とまぎらわしいので、流山町に変更されています。
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