常設展示(5 白みりん発祥の地)

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ページ番号1001829  更新日 平成29年9月15日 印刷

出来事
明和3年(1766) 初代堀切紋次郎流山に移住、酒造開始
安永年間(1772~1781) 流山でみりんの醸造始まる(『大日本地名辞書』)
天明2年(1782) 5代目秋元三左衛門、みりん操業(『千葉県東葛飾郡誌』)
寛政7年(1795) 紋次郎、みりん操業(『千葉県東葛飾郡誌』)
文化11年(1814) 2代目紋次郎、みりん発売を開始(『野田醤油株式会社二十年史』)
明治6年(1873) オーストリアの万国博覧会で天晴・万上みりん、有功賞牌受賞
明治10年(1877) 万上みりん、宮内省御用達となる
明治10年(1877) 天晴・万上みりん、第1回内国勧業博覧会で受賞
大正14年(1925) 万上みりん、野田醤油(後のキッコーマン)と合併
昭和15年(1940) 天晴みりん、工場などを帝国酒造に売却

 みりんは、糯米と米麹を合わせて焼酎に入れ、糖化・熟成の工程を経て、圧搾をすればできあがります。みりんは現在、煮物や焼き物などの料理に甘味と旨味を加える調味料として使われていますが、当初は甘い酒として飲まれていました。
 17世紀初頭に江戸川が開削されると、舟運によって江戸という大消費地と流山は直結します。また、江戸川や古利根川流域は早稲米や糯米の産地であり、江戸川の水にも恵まれるという立地条件によって、流山ではみりん醸造が盛んになります。流山で造られたみりんは、従来のみりんと比較して色が淡いことから白みりんと呼ばれています。
 流山でみりん醸造が開始された記録として、安永年間・天明2年・寛政7年などの諸説があります。紋次郎がみりんの発売を開始した文化年間(19世紀初頭)は、江戸前料理が完成して料理文化が広く庶民にまで浸透した時期になります。流山のみりんは、文化・文政年間の料理文化の発展とともに需要が増大して、京都・大坂・江戸で評判になったと考えることができます。

みりん醸造家秋元三左衛門邸宅のエッチング写真

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