常設展示(2 古代国家と流山)
年 | 出来事 |
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4世紀 | 三輪野山向原古墳から鉄剣や土師器が出土 |
6世紀 | 東深井古墳群・鰭ヶ崎三本松古墳が造営される |
大宝元年(701) | 大宝律令制定、流山は下総国葛飾郡に含まれる |
8世紀 | 中ノ坪第2遺跡に製鉄炉跡 流山廃寺の古瓦が出土 神功開宝・隆平永宝が市内の遺跡で出土 |
1.古墳と埴輪
古墳は3世紀末から7世紀にかけて造られた、 豪族や有力者の墓です。高く土盛りされていて、その形から円墳や方墳・前方後円墳などと呼ばれています。
古墳の上や周囲に立て並べられた素焼きの土製品が埴輪です。円筒形のものや、人物・動物・家・器財などをかたどったものがあります。
流山では、4世紀はじめの三輪野山向原古墳から7世紀はじめの加北谷津第2古墳まで古墳が造られています。6世紀に造られた東深井古墳群は、かつて40基を数えることができた群集墳です。なお、東深井古墳群からは人物埴輪や鶏形埴輪、めずらしい魚形埴輪などが出土しています。
2.都と地方
大宝元(701)年に制定された大宝律令では、全国を国・郡・里という行政区画に分けました。主として成人男子に租税負担の義務を課し、調・庸・雑徭は中央財政に、祖は地方財政にあてられました。
平城京や平安京などの都城も造営され、地方には行政機関として国衙や郡衙が置かれました。流山の大部分は、下総国葛飾郡に属しています。
中央政府と地方を結びつけるために、交通路が整備されました。こうした交通路によって、都の文化や文物も流山の地にもたらされました。
また西平井(平和台4丁目)の流山廃寺からは、下総国分寺が造営された頃の古瓦が出土しています。
3.奈良時代の製鉄遺跡 ―東深井中ノ坪遺跡-
東深井中ノ坪遺跡は、第1遺跡と第2遺跡からなります。台地上にある第1遺跡からは、竪穴式住居跡が10軒発見されていて、金属鉄を含む多量の小割された鉄滓が出土しています。また、第1遺跡と小さな谷津をはさんだ第2遺跡からは、南の暖斜面で製錬炉が1基発見されました。この2つの遺跡は製鉄遺跡として一連の工人集団のものと考えられます。第2遺跡で生産した鉄を、第1遺跡で選別したのです。
東深井中ノ坪遺跡は奈良時代のはじめ、8世紀第1四半期ととらえられます。この時期に製鉄技術集団が関東地方に出現した背景を、今後は検討していく必要があります。
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