常設展示(9 暮らしを支えた交通)

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ページ番号1001833  更新日 平成30年1月21日 印刷

 
出来事
明治23年(1890) 利根運河完成、総工費50万円余、作業人数延べ20万人
明治29年(1896) 日本鉄道会社土浦線(JR常磐線)田端―土浦間開通
明治44年(1911) 県営軽便鉄道野田線(東武野田線・柏~野田間)が開通
大正5年(1916) 流山軽便鉄道(流鉄流山線・流山~馬橋間)が開通
大正8年(1919) 関宿街道(県道松戸~野田線)の三輪野山以北、現在の位置へ
昭和10年(1935) 流山橋完成

1.水運の隆盛

明治時代の流山通りの模型写真

 国内の近代化が進み、流通が活発になるにつれ、より多くの人や荷物をより早く運ぶことが要求されてきました。
 江戸川には旧来の和船に加え外輪蒸気船も就航し、輸送力が増大しました。明治10年には内国通運会社が通運丸を、その後、いくつかの会社も蒸気船を就航させます。
 また、明治23年の利根運河開通なども手伝って、江戸川と流山の町はにぎわいを増しました。
 しかし、まもなく輸送の主役は鉄道となり、大正から昭和へと、水運は衰退の一途をたどります。

2.整備される交通網

流山橋架橋記念の絵葉書

 水運が流山に活気をもたらしていた明治の中頃、めまぐるしく近代化していく情勢をうけて、交通輸送手段も、より多くより早く運ぶ陸上交通が求められるようになりました。
 鉄道では、流山市域には駅ができなかったものの、日本鉄道土浦線(JR常磐線)が明治29(1898)年に開通します。そして県営鉄道野田線(東武野田線)が明治44(1911)年に、流山軽便鉄道(流鉄流山線)が大正5(1916)年に開通しています。
 一方、道路も整備され、昭和に入るとバス(乗合自動車)の路線も開かれました。
 また、昭和10(1935)年には、流山と埼玉県側とを陸路で結ぶ流山橋も架けられました。

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