石川県能登町

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ページ番号1006896  更新日 平成26年1月1日

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石川県能登町(いしかわけんのとちょう)

 平成24(2012)年1月17日、流山市の市制45周年の節目に、姉妹都市の盟約を結びました。

概要


能登町の位置図
能登空港開港で身近になった能登半島

 能登町は、平成17(2005)年、能都町・柳田村・内浦町が合併して誕生しました。
 石川県の北部、日本海に突き出した能登半島に位置し、朝市で有名な輪島市に隣接しています。町の東~南側は富山湾に面し、その海岸線の大半は能登半島国定公園に含まれます。九十九(つくも)湾などの景勝地を有する海岸と、陸地の約8割を占める丘陵地で構成される町域は、緑豊かな「里山・里海」の風景を今に残しています。

 古くから漁業や商業で栄え、新鮮で多様な海の幸や、揚げ浜という伝統製法で作られる天然塩などが特産となっています。
 平成15(2003)年7月に能登空港が開港したことから、首都圏から約1時間でのアクセスが可能になり、観光や活性化の追い風となっています。

【町制施行】 平成17(2005)年※合併
【 人  口 】 18,062人(平成29年4月1日現在)
【 面  積 】 273.46平方キロメートル


<<アクセス>>
【飛行機】 羽田空港==(約60分)==能登空港==(自動車約30分)==能登町
【鉄  道】 JR東京==(北陸新幹線・約2時間30分)==JR金沢==(北陸本線/七尾線/のと鉄道・約2時間)
       ==穴水==(自動車約40分)==能登町

歴史と流山市とのつながり

中庭に太陽を
両市町の子どもたちの交流事業(流山市生涯学習センター)

 江戸時代には、加賀百万石で知られる前田家の所領に組み込まれ(一部を除く)、その頃には水運を生かした商業などで栄えていた能登町。合併前の旧内浦町には、古くからの酒造りの技を受け継ぎ、日本四大杜氏に数えられる「能登杜氏」が生まれ、時代が下るにつれその酒造技術を生かし全国で活躍するようになりました。
 昭和初期には、白みりん発祥の地として醸造業がさかんであった旧流山町に、能登杜氏をはじめとした旧内浦町民が数多く移り住むようになりました。こうした繋がりから、昭和60年ころからは流山市民・旧内浦町民の間での交流が活発に行われるようになり、合併により能登町が誕生したのちも友好関係を醸成させてきました。
 東日本大震災の発生により飲料水の確保が困難となった際には、能登町からいち早く「のと海洋深層水」が支援物資として届けられ、流山市民の大きな助けとなるなど、多方面で信頼関係を深めています。
 

まち自慢

能登町の民家
山べりに昔ながらの民家が軒を連ねます

 里山里海の風土
 平成23(2011)年6月には、「能登の里山里海」(能登町を含む4市4町)が、国連食糧農業機関(FAO)が定める「世界農業遺産」に認定されました。景観や伝統的な農林漁法、文化・祭礼などが評価されたもので、能登町では、農家民宿の集落でもある「春蘭の里」の豊かな里山景観などが該当しています。
 


あばれ祭り
あばれ祭りに繰り出すキリコ

 祭りの王国
 古から受け継がれた祭りが年間を通じてさかんに開催される能登半島。特に夏は祭りのシーズン、能登の祭りの主役はキリコと呼ばれる大きな奉燈です。能登町の「あばれ祭」は毎年7月、2日間にわたって繰り広げられ、高さ7メートルのキリコ40本以上が大松明の火の粉の中を乱舞する迫力を楽しめます。その昔、悪病が蔓延したときに盛大な祭礼をしたところ、神霊が病人たちを救ったのが始まりと伝えられていて、2基の神輿を海や川に投げ込むなど個性的な神事が、今も連綿と受け継がれています。
 

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