ぐるっと流山 浅間神社の祭礼

ページ番号23398 更新日 平成19年7月2日

「わっしょい、わっしょい」 浅間神社のお神輿練り歩く

流山旧道を練り歩く

 7月1日(日曜)、流山1丁目の浅間神社で祭礼が行われました。地元では「根郷の浅間様」と呼ばれ親しまれています。浅間神社は、正保元年(1644)創建の旧村社で、祭神は木花開耶姫命。富士塚もあります。根郷町会(秋元浩司会長)は、流山1丁目から4丁目までの自治会で組織されています。


わっしょいわっしょい賑やかに

 午後1時の花火が上がると、太鼓を先頭に山車やお神輿が神社前を出発。お神輿が来ることを知らせる太鼓を積んだ山車が子どもたちによって引かれ、ドンドン、タンタンという太鼓の音が聞こえると、隣の家から隣の家へと注連縄で結ばれた家々からお年寄りや幼い子どもたちなどが沿道に出て来ます。太鼓の山車の後からは、根郷子ども会が担ぐ子どもお神輿が続きます。根郷と染め抜かれた半被に「流山小PTA」の腕章をはめたお母さんたちの叩く拍子木に合わせて、「中若」などと書かれた半被を着て豆絞りの手拭いを首や頭に巻いた子どもたちが、「わっしょい、わっしょい」とお神輿を担いで町内を練り歩きます。


子どもが神輿の上に乗って

 江戸川沿いの旧道から広小路周辺まで土蔵造りの家屋や百年以上の歴史を持つ老舗、神社仏閣などが続いています。家と家を結ぶ注連縄は、まるで家が両手を広げて、仲良く手をつなぎ合っているように見えます。最寄り駅の総武流山電鉄「流山駅」を出ると、神社や学校などが背中を向けているような気がするのは、かつて川が街の玄関だった頃の名残りなのでしょう。古代文明がそうであったように川は文化を運び、文化を育んできたこの界隈は、千葉大学の前身であった常与寺や新選組の近藤勇局長と土方歳三副長が最後のときを過ごした陣屋跡などもあり、歴史の重みを感じる地域です。


山車も引きながら

 大人の神輿は、根郷神輿会が中心になって担ぎました。神輿の担ぎ棒の上には地域の子どもたちが上がっています。萌黄色に「ね」と染め抜かれた揃いの半被の若衆が「せいやっ、せいやっ」と声を掛けながら神輿を担ぎます。浴衣を粋に着流した旦那衆が取り仕切る中を、下総五鳳会や赤城四葉会、大杜睦会など地元の担ぎ手も加わって大きな行列となって練り歩きます。交差点などでは「浅間社」とプリントされたTシャツを着た役員が交通整理をしていました。


沿道いっぱいに広がって

 加6丁目の大杉神社と1週間違いで行われる流山1丁目の浅間神社で祭礼。ちょうど梅雨時ということもあって、地元では「大杉様が晴れれば浅間様が雨、浅間様が晴れれば大杉様が雨」と言われているほど天候が不安定な時期です。1週間前の大杉神社の祭礼は宵宮が晴れて翌日のお神輿が雨に降られてしまいました。今回の浅間神社は逆に宵宮が雨でお神輿が晴れでした。7月15日(日曜)~16日(祝日)は三輪野山の茂侶神社で、7月21日(土曜)~22日(日曜)は加台の大杉神社(平和台の大宮公園内)で、それぞれ祭礼が予定されています。


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