ぐるっと流山 一茶双樹記念館で消火訓練

ページ番号20105 更新日 平成20年1月28日

一茶双樹記念館で消火訓練 文化財防火デーを前に開催

一茶双樹記念館で火災を想定した消火訓練

 1月26日(土曜日)の「文化財防火デー」を前に1月25日(金曜日)、流山6丁目の一茶双樹記念館での火災を想定した避難誘導訓練と消防隊による記念物の搬出訓練や消火訓練が行われました。文化財防火デーは、昭和24年1月26日に、現存する世界最古の木造建造物である法隆寺(奈良県斑鳩町)の金堂が炎上し、壁画が焼損したことを契機に制定されました。


貴重な文化財の運搬訓練も

 この火災は国民に強い衝撃を与え、火災など災害による文化財保護の危機を深く憂慮する世論が高まり、翌昭和25年に文化財保護の統括的法律として文化財保護法が制定されました。その後、昭和29年11月3日に法隆寺金堂の修理事業が竣工し、文化財保護行政も確立するとともに、文化財保護思想の一層の強化徹底を図るために普及啓発事業が行われるようになりました。


文化財防火デーを前に実施

 法隆寺金堂の焼損した日であること、1・2月が1年のうちで最も火災が発生しやすい時期であることから、昭和30年に、当時の文化財保護委員会(現在の文化庁)と国家消防本部(現在の消防庁)が1月26日を「文化財防火デー」と定めました。以来、毎年この日を中心に、各都道府県教育委員会、各消防署、文化財所有者等の協力を得て、文化庁と消防庁が連携・協力して全国各地で防火訓練などの文化財防火運動を展開しています。文化庁の文化財防火デーに関する初の調査結果が1月22日、報道機関に発表され、市町村の半数が未実施であることがわかりました。


貴重な掛け軸を搬出

 今回、訓練が行われた一茶双樹記念館は、俳人小林一茶と、流山みりん醸造家、五代目秋元三左衛門(俳号双樹)の交友の地であり、往時の流山みりん黄金時代を偲ばせる施設です。みりんは、もち米と米麹、焼酎を原料として生まれます。古くから米の集散地であり、醸造業も盛んで、江戸川の水運により大消費地江戸と結ばれていた流山は、みりんづくりに最適な地であったといえます。流山のみりんづくりは、江戸時代後半、万上みりんの堀切紋次郎(二代目)と天晴みりんの秋元三左衛門(五代目)により始まったとされます。


放水訓練も

 江戸で大変好まれた流山のみりんは、江戸から関東一円に広まり、天晴みりん、万上みりんは、1873年のウィーン万国博覧会にも出品され、有功賞牌を授与されるなど、江戸後期から明治にかけて、みりんといえば流山というほどの黄金時代を迎えました。この日の訓練では、重要な天晴みりんの掛け軸が搬出されました。


天晴みりんの掛け軸

 五代目秋元三左衛門は、小林一茶と交友があり、一茶はこの地を第二のふるさととして、数十回も訪れており、旧秋元家の建物の一部を保存・整備した「一茶双樹記念館」は、流山市指定文化財として、1995年から一般に公開され、流山の歴史・文化を伝える貴重な施設として親しまれています。3月1日からは企画展「流山とみりん」も予定されています。お問い合わせは一茶双樹記念館04-7150-5750へ。


このページに関するお問い合わせ

ぐるっと流山に関するお問い合わせは、担当課のページからお問い合わせください。
担当課のページ