ぐるっと流山 流山の昔を語る会

ページ番号7248 更新日 平成23年2月21日

流山の昔を語る会 尋常小学校にみる流山の教育

流山の昔を語る会

 流山福祉会館で2月19日、万華鏡ギャラリー「見世蔵」主催による第4回流山の昔を語る会が行われ約20人の歴史ファンなどが参加しました。一昨年の「みりんの香る街 流山」を始め数々の本を出版されている郷土史作家・青木更吉さんと見世蔵の所有者で寺田園茶舗の店主・寺田英一さんが講師を務める講演会で、これまでに「流山の起こり」「通運丸と旧流山橋」「商業が盛んだった流山」をテーマに行われてきました。


青木先生

 4回目となった今回は、流山尋常小学校を中心に明治・大正・昭和初期にかけての流山の教育について語られました。青木先生は、地元の俳人・松本翠影の「尋常小学校入学」という記述を資料に、当時の小学生の生活ぶりなどを紹介してくださいました。松本翠影は、明治に活躍した俳人で光明院に句碑がありますが、上野公園にも、「鶴の檻 さくら吹雪の中にあり」という句碑があるとのことです。


約20人が参加

 明治30年に、尋常小学校に入学した松本翠影の記述には、「八木、新川、千代田村(現柏市)からも生徒が来ていた」「ランドセルも制服もなく、よだれ掛けをしていた」「お昼には、大きなブリキの缶でお湯が教室運ばれ生徒に配られた」といった、明治時代の学校生活の様子が伺えると青木さんが説明。参加者は熱心にメモを取っていらっしゃいました。後半は、流山尋常小学校の校舎について触れ、貴重な明治20年代の写真のコピーを見ながら、白く変わった形をした門扉は、オックスフォード大学のものをまねて作ったという興味深い話も紹介。


見世蔵の所有者・寺田英一さん

 明治9年の記録では、流山尋常小学校の生徒数は男子77人、女子57人で、当時の他の小学校では女子の比率が非常に少ない中、流山は教育に熱心な地域であったのではと指摘しました。続いて、昭和8年に流山小学校に入学したという寺田さんが、実体験に基づいたお話をしてくださいました。次回の流山の昔を語る会は、3月26日(土曜日)午前11時から正午に行われます。テーマは「第2次世界大戦と流山」です。ぜひご参加を。お問い合わせは、見世蔵(電話:04-7103-2817、2月21日から3月1日は臨時休業、月曜・火曜定休)まで。


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