ぐるっと流山 小林一茶まつり

ページ番号30409 更新日 平成17年12月7日

初の小林一茶まつり 10周年を迎えた一茶双樹記念館で開催

一茶双樹記念館で小林一茶まつり

 俳人・小林一茶がたびたび訪れ、秋元双樹との親交を深めた地「流山」。博物館では、平成17年12月4日(日曜日)、開館10周年を迎えた一茶双樹記念館で小林一茶まつりを行いました。流山歴史文化研究会(渡辺義正会長)との共催で初めて開催したものです。午前中は、子ども川柳大会が行われ、小・中学生から寄せられた川柳の審査や表彰式などが行われました。当日は、14人の小・中学生が参加。川柳の選者は、元教員の青木更吉さんが小林一茶に扮して、一茶と流山のかかわりについて解説し、代表的な一茶の句を読み上げると、記念館はまるで江戸時代の寺子屋のような雰囲気。その後、子どもたちは紅葉に色づく庭を見ながら1人5句を作りました。


一茶双樹記念館で小林一茶まつり

 審査の結果、横山永吉くん(鰭ケ崎小5)の「たからくじ うんがよければ 二億円」、長尾大暉くん(流山北小5)の「クリスマス 母にたのんで 先もらう」、鵜澤貴之くん(流山北小5)の「風にのる 色とりどりの もみじたち」、大内卓也くん(八木北小5)の「神様が いろいろな葉に 色ぬった」、久保田花菜さん(八木中1)の「母さんの カップラーメン 世界一」が優秀賞に選ばれました。


一茶双樹記念館で小林一茶まつり

 午後は、市内在住の作家・伊藤晃さんを講師に、「私たちの郷土と小林一茶」と題した講演会が行われました。一茶の研究書や小説を数多く著している伊藤さんは、流山の醸造家で一茶の支援者であり、俳人でもあった秋元双樹と、一茶との連句などを紹介しながら流山の文化活動の歴史をわかりやすく解説しました。流山村の酒造家四代目・秋元三佐衛門春雄の長男として宝暦7年(1757)に生まれた五代目・秋元三佐衛門感義は、俳号を双樹といい、家業の傍ら、葛飾派の門人として俳諧道をきわめ、寛政3年(1791)一茶が下総地方を巡歴した頃に出会いがあったと思われ、その後、一茶が既に交流していた馬橋村(現松戸市)の油商で葛飾派の判者であった大川立砂と共に親交を深めたことなどを会場いっぱいの市民に語ってくださいました。


一茶双樹記念館で小林一茶まつり

 小林一茶(1763-1827)がふるさと信濃の柏原を後に江戸に出たのは、安永6年(1777)の春15歳の時でした。当時、北総地方には、悠々自適の境地を楽しもうという、俳人山口素堂の一派である "葛飾派"の俳人が多く、この地方は、一茶にとってはいわば第二のふるさとであり、流山の双樹のもとには、 50回以上も来訪したことが知られています。今回、会場となった一茶双樹記念館のそばにある光明院には、秋元双樹と小林一茶の連句碑が建立されています。また、流山は、こうした歴史的な背景から一茶の生まれ故郷・長野県信濃町と姉妹都市や災害時の応援協定などを締結しており、市内でも俳句を楽しむ方々が多く、流山市俳句協会などによる小中学生の俳句大会なども活発に行われています。


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