ぐるっと流山 第3回勇忌

ページ番号28450 更新日 平成18年4月11日

第3回勇忌 近藤と土方が最後のときを過ごした流山で開催

長流寺で近藤勇を偲ぶ勇忌

 平成18年4月9日(日曜)、流山6丁目の長流寺(高橋一元住職)で、新選組局長・近藤勇を偲ぶ勇忌が行われ、約100人の新選組ファンが訪れました。慶応4年4月2日、近藤勇は志を同じくする人々と共に、下総流山に屯集し、翌4月3日、勇は薩摩藩、有馬藤太の指揮する西軍の陣営に出頭。有馬藤太の厚い心遣いを受けつつ中仙道板橋宿に送られ、4月25日、板橋で刑死しました。行年35歳。流山では「この地を戦禍に巻き込まないために出頭した」と語り伝えられています。会場となった長流寺は、慶長12年(1612)創建の浄土宗の寺院で覚誉大信和尚開山。流山七福神のひとつ恵比寿様で親しまれています。


長流寺で近藤勇を偲ぶ勇忌

 流山歴史文化研究会(渡辺義正会長)が、近藤勇が出頭した4月3日前後の日曜に毎年開催しているもので、ことし3回目。日野市の石田寺で土方歳三忌が31回目を、港区の専称寺で沖田総司忌が32回目を迎えますが、新選組局長の勇についてはこうした偲ぶ会がありませんでした。そこで、一昨年のNHKの大河ドラマ「新選組!」の放送を機に、近藤が最後の陣を敷き官軍に自首した地であり、近藤と土方が最後のときを過ごした流山で初めての近藤勇忌が市民有志の手で始まりました。


勇忌講演会

 呼びかけたのは、新人物往来社で新選組の図書を150冊以上も出版し、新選組研究の第一人者として有名な流山在住の大出俊幸さん(67)。大出さんは「歴史は顕彰と慰霊。勇忌を流山の歳時記にしたい」とおっしゃっています。この日は、新選組ゆかりの京都府や北海道などから約100人の新選組ファンが詰め掛け、近藤勇子孫の宮川豊治さんをはじめ、井崎市長や山崎商工会長、近藤勇陣屋跡の地権者でもある秋元浩司さんら関係者も駆けつけました


講師の釣洋一さん

 勇忌が終わってからは、近くの商工会館へ移動し、新選組研究家の釣洋一さんを講師に迎え、「近藤勇の介錯人・横倉喜三次」と題した講演会が行われました。席上、市立博物館で募集していた新選組研究論文の表彰も行われ、最優秀賞に埼玉県上尾市・郡義武さんの「流山・新選組集結す」が、また、優秀賞には北海道札幌市・杉村悦郎さんの「板橋の新選組慰霊碑と永倉新八」と、流山市・西村喜美江さんの「浅黄色考」がそれぞれ選ばれ表彰されました。


このページに関するお問い合わせ

ぐるっと流山に関するお問い合わせは、担当課のページからお問い合わせください。
担当課のページ