ぐるっと流山 鰭ケ崎おびしゃ行事

ページ番号15937 更新日 平成21年1月21日

鬼の的をめがけ矢を射る 300年の歴史を引き継ぐおびしゃ行事

境内には100人を超える見物客が

 1月20日(火曜日)、江戸時代の享保年間(1716~36年)から続くと言われている「鰭ケ崎おびしゃ行事」が雷(いかづち)神社で行われました。赤鬼・青鬼の面をあしらった的に矢を射る伝統行事として、おびしゃ保存会(恩田一雄会長)により運営され今に引き継がれています。多くの行事が、土・日曜などの休日に行われるようになっている中、このおびしゃ行事は曜日に関係なく毎年1月20日に続けられています。


宮司と新旧の当番

 「おびしゃ」は関東地方の新年行事で、名前は弓を射る「歩射(ぶしゃ)」からきていると言われており、とくに千葉県の利根川沿いの地域で多く、100か所以上で行われています。しかし、その多くは弓を射ることはなくなり、単に豊作や安全を祈ったり、地域の人たちが酒を酌み交わす場になっているところが増えています。そんな中、矢を射ることを世々引き継いできた鰭ケ崎のおびしゃ行事は大変貴重であり、流山市では昭和52年に市内初の無形民俗文化財に指定し、平成6年には千葉県の記録選択文化財にもなっています。


社殿では厳粛に神前行事が

 社殿には、今年と来年の当番や、神社護持会の役員の皆さんなどが登殿しますが、今年の当番の7人は色鮮やかな七福神の衣装に身をまとい、来年の当番は袴姿となります。太鼓の音を合図に神前行事が開式され、諏訪神社の古谷宮司により祝詞奏上や玉串奉天などが厳粛に執り行われました。次に、新旧の当番が向かい合い「トウ渡し」という当番の引き継ぎが行われました。当番は7軒で受け持ちますが、中でも筆頭となる「初戸(ハナト)」は、洞下忠夫さん宅から秋元厳さん宅へと引き継がれました。


トウ渡しという当番の引継ぎ

 氏子は86軒あるため、当番が回ってくるのに約12年、さらに7軒のうち1軒だけが初戸となるため、84年に1回しか初戸に当たらない計算となります。当番は、おびしゃ行事のほかに、5月・9月・10月・翌年1月に実施される「おこもり」の賄いや茨城県にある分雷(わけいかづち)神社への代参など行います。新たな初戸となる秋元さんは、「初戸が当たるのはありがたいこと。大変光栄です。伝統を守っていくため、身を引き締め1年間務めたい」と語っていました。


今年の初戸・洞下さんの射的

 トウ渡しが終わると、いよいよ邪悪を退散させようという「的撃ち」。神社の拝殿から鳥居の方向約5メートルに立てられた、直系約50センチの的に向かって矢を射るものです。赤鬼・青鬼の顔を描いた的も、弓矢もすべて今年の当番による手づくり。最初に挑戦した鰭ケ崎自治会長の宇佐美征弘さんの矢が、見事に的を射抜き、境内に詰め掛けた100人以上の見物客から「おー、当たったー」という歓声があがり、大きな拍手が送られました。宇佐美さんは、「4・5年続けて挑戦していますが、当たったのは初めて。伝統行事は一度途絶えると復活するのは難しいので、長く続けて欲しい」と語ってくださいました。


新旧当番が順番に弓を射ます

 続いて、護持会の役員の皆さんや、七福神や袴姿の新旧当番の皆さんが次々に的をめがけ矢を射ました。例年、手づくりの矢のためなかなか当てるのは難しいとのことですが、今年は4本の矢が見事に的を射抜きました。鰭ケ崎に住んで10年になるという池田ヒサ子さん(78)は、「広報を見て初めて見学にきました。故郷の福島では伝統あるお祭りなどが多く残っていますが、こうした行事は地域の宝ですね」とその後、社務所で行われた直会(なおらい)まで見ていかれました。


直会で挨拶に立つ宇佐美さん

 直会は、神様に上げたものを皆でいただく宴会のようなものです。挨拶に立った護持会副会長の宇佐見憲雄さんは、「今日の的打ちでは見事に鬼の的が射抜かれ、家内安全、五穀豊穣、そして現在の不景気を打破する一矢になったのでは」と語りました。また、宇佐見さんは、七福神の衣装や袴姿などは昭和50年代後半から始めたもので、当初からのものではないと教えてくださり、「でも、これも約30年続いてきました。これが後世には、新たな伝統として受け継がれていくんです」と話していらっしゃいました。


神楽「たねがし」が披露

 宴もたけなわになった頃、赤城保存会の皆さんが、お囃子や獅子舞、お神楽を奉納してくださいました。おひねりを口にくわえる獅子に、会場からは大きな笑いが。さらに、狐と田吾作が種まきをするおめでたいお神楽「たねがし」なども披露され、多くの写真ファンや見物客がカメラに納めていました。赤城保存会は現在、会員は8人で、ボランティア活動のほか毎年6月から8月に行われる地元のお祭りでお囃子などを奉納しているとのこと。また、1月31日(土曜日)と2月7日(土曜日)に南流山センターで開催される、公民館(04-7158-3462)主催の伝統芸能体験教室にも講師として参加されるそうです。


七福神が行列を作っての送り込み

 直会も終わり、夜になると「送り込み」が行われました。花で飾った万灯や提灯を持った七福神や護持会の役員が行列を作り、後には軽トラックに飾りつけた花自動車が、昔は振舞い用の「どぶろく」を作っていたという酒樽や味噌樽、おびしゃに使う道具などを積んで続きます。行き先は、次の初戸となる秋元厳さんのお宅で、雷神社から約1キロの道のりをゆっくりと20分かけて送って行きました。


沿道では街の方々がご苦労さまと拍手

 送り込みが安全にできるよう、交通安全協会鰭ケ崎支部(小堀登支部長)の皆さん5人が前後で交通整理しながら、交差点などは交番の警察官にもご協力いただきました。送り込みは、独特の「うぉーえーうぉー」といった掛け声をかけながら進みます。この掛け声に気づいた沿道の家々からは家人が出てきて、「ご苦労様です」と声をかけ拍手が送られます。花自動車の後ろに乗った初戸の洞下さんから、当番の家の女性たちにみかんが手渡され、沿道で見物される方々に配られました。


今年の初戸・洞下さんから来年の初戸・秋元さんへ引継書が

 新しい初戸の秋元さんのお宅に着くと、万灯や提灯の火が消され荷台に詰まれた道具などが引き渡されました。家の中に招かれた今年の当番から、正式に引継書と箱に詰められた七福神の衣装が手渡されると、「1年間お疲れ様でした」「これから1年よろしくお願いします」と杯が交わされ、今年の鰭ヶ崎おびしゃ行事は無事終了しました。


境内に建つおびしゃの由来が記された石碑

 雷神社を入ると社殿に向かって右手には2つの大きな石碑があります。一つは昭和48年に神社新装建設の際に建てられたもので、もう一つは平成元年におびしゃ発祥300年を記念して、表におびしゃの由来が詳しく記され、さらに裏には当番の順番が刻まれています。これは、この伝統行事を次の世代まで永く引き継ぐために、氏子の皆さんの寄進などで建立されたものです。石に刻まれた文章を読むと、この神社には未来永劫この伝統行事が残されていくことが実感できました。ぜひ、皆さんもご一読を。


このページに関するお問い合わせ

ぐるっと流山に関するお問い合わせは、担当課のページからお問い合わせください。
担当課のページ