ぐるっと流山 利根運河とボート遠漕

ページ番号12939 更新日 平成22年2月15日

2月は利根運河通水120年 記念講演会「利根運河とボート遠漕」

サテライトセンターで講演会

江戸川大学おおたかの森サテライトセンターで2月10日、「利根運河とボート遠漕」と題した講演会が行われ、約80人の利根運河ファンやボート愛好家らが参加し、かつて若者がオールを手に水上から見た利根運河の歴史などに触れました。公民館の大学開放講座として利根運河通水120周年を記念して行われたものです。


80人が参加

会場となった江戸川大学おおたかの森サテライトセンターは、TX・東武野田線流山おおたかの森駅前のライフガーデンビル2階にある社会人向けの教室で、仕事帰りの方や退職された方々に人気の生涯学習施設です。この日は、近代ボート競技歴史研究家の古城庸夫・江戸川大学准教授を講師に、隅田川(向島)から銚子まで、東京大学をはじめとする各大学ボート部がトレーニングの一環として遠漕を行ったことなど、知られざる歴史・事実を貴重な写真などによって紹介しました。


利根運河の歴史を

利根川と江戸川を結ぶ利根運河は、1890年2月25日の通水から120年になります。水運の役目を終えて半世紀以上になりますが、今は自然豊かな水辺として親しまれています。江戸時代に東北地方などから江戸へ運ぶ物資は、海運で銚子まで輸送され、さらに川船で利根川をさかのぼり、関宿(野田市)で合流する江戸川を下って江戸に運搬していました。ところが、関宿付近では土砂がたまって運航しにくい状態となり、明治時代に運河が計画されました。


さまざまな資料も展示

オランダ人技師のヨハネス・デレーケが現地で開削の可能性を調査、ローウェンホルスト・ムルデルが設計し、現場監督を務めて1888~90年のわずか2年で完成させました。往時は水上交通の要衝を担いましたが、鉄道や道路の整備で衰退した上、1941年の洪水被害が追い打ちを掛け、水運の役目を終えました。古城さんは、講演会の前日に入手されたという利根運河会社の株券(額面500円)や利根運河の古い絵ハガキなどを披露しながら大学ボート部の若者たちが見た利根運河や割烹新川など当時、宿泊した周辺の宿等も紹介し、その変遷を振り返りました。


昭和10年代の写真

「利根川の西北風に迫害された時、江戸川の順風に感激した時、二ツの愛のつながる運河の美感に恍惚とした時、次から次へ全ゆる反射と戦って漕ぐ時私達の決心は張りきつた…」(「蜜月の遠航」大正15年7月1日『端艇詩集』竹中久七著:慶応義塾大学端艇部漕手)をはじめ「流れも早き古利根川、漕ぐ手休めぬ運漕に、涙流すな流山、霞の奥に運河口」(旧制校寮歌「遠漕歌」大正11年)など文学や学生歌などを切り口にした利根運河史にも迫りました。


実物のボートやオールも

 宿泊を伴った長距離の漕艇訓練は一橋大学端艇部によって明治31年1898年1月に実施されました。航路は隅田川艇庫~荒川~江戸川~利根運河~利根川を経て銚子に向かいました。明治31年から平成19年までの109年間にボート遠漕が行われたのは、古城さんが古い宿帳(宿泊者名簿)などを調べ320回にものぼることを突き止めたことなどが発表されました。会場には実物のボートやオール、貴重な写真やメダルなども展示されました


利根運河交流館

講演会の関連企画として利根運河交流館(国土交通省江戸川河川事務所運河出張所内)では、「利根運河とボート遠漕」と題した写真展も2月28日まで開催されています。同館は、NPO法人コミュネット流山が流山市から受託運営しているもので、東武野田線「運河」駅5分、月・火曜は休館。入場無料。2月27日(土)8時からは毎月第4土曜日恒例の朝市も予定されています。お問い合わせは利根運河交流館04-7153-8555へ。


約80人が参加

森の図書館では「郷土資料・利根運河」というコーナーを設け、利根運河に関する図書や「広報ながれやま」のバックナンバーなどを公開しています。お問い合わせは森の図書館04-7152-3200へ。また今秋には流山市立博物館で利根運河の企画展も開催予定です。お問い合わせは博物館04-7159-3434へ。


このページに関するお問い合わせ

ぐるっと流山に関するお問い合わせは、担当課のページからお問い合わせください。
担当課のページ