ぐるっと流山 利根運河とボート遠漕

ページ番号13235 更新日 平成22年1月6日

企画展「利根運河とボート遠漕」 利根運河交流館で2月末日まで開催中

運河交流館で企画展

 1月6日水曜日から利根運河交流館で「利根運河とボート遠漕」と題した新春企画展が開催されています。これは、2010年が利根運河通水120周年となることから同館の運営管理を委託されているNPO法人コミュネット流山(堂下延代理事長)が江戸川大学や市商工課などの協力を得て開催したものです。会場となっている利根運河交流館は、国土交通省江戸川河川事務所運河出張所内の一画を流山市が借り受けているものです。会場は、東武野田線運河駅から徒歩約5分。会期は2月末日までで、入場無料。土・日曜は開館していますが、月・火曜は休館です。


貴重な写真をお貸しくださった古城さん

館内には、かつて利根運河を行き来していたボート学生たちのオールをはじめ、貴重な写真、錦絵、年表などが展示されています。初日となった6日には地域の方々や博物館関係者、千葉日報社の記者の皆さんなど、多くの来館者で賑わいました。展示されている資料の多くは近代ボート競技歴史研究家でスポーツビジネス研究所所掌の古城庸夫・江戸川大学准教授が収集したものをお借りしました。また、割烹新川さんからお借りしたボートのオールの置物も展示されていますが、これは、いつもに宿泊していた学生たちがお礼にと割烹新川さんに寄贈したものです。


利根運河の運河橋付近

 宿泊を伴った長距離の漕艇訓練が一橋大学端艇部によって明治31年(1898年)1月に実施されました。航路は隅田川艇庫~荒川~江戸川~利根運河~利根川を経て銚子まで。明治17年以降、隅田川でのボートレースは一か月に十数回が実施されるようになっていきました。明治20年から明治45年までの間に、隅田川の吾妻橋を中心とした艇庫建設が13団体によってなされ、一大ボート文化圏が形成されました。これらは艇庫村と総称され、合宿所を併設していた関係から、密接な相互理解と相互扶助の精神を涵養する一大スポーツ団体を生み、ボート競技は他競技に先駆けて大正9年(1920年)日本漕艇協会を設立することにつながったそうです。


ボートレースを描いた錦絵

ボート学生たちが競って漕いだ利根運河は、利根川と江戸川をつなぐ一級河川の運河(人工河川)。日本初の西洋式運河です。明治時代に開削された江戸川と利根川を結ぶ延長約8・5キロメートルの人工水路で、開削にあたってはオランダ人土木技師のムルデルが起用されました。現在は市民の憩いの場として、運河水辺公園、運河緑道が整備されています。江戸幕府は、渡良瀬川の下流にあった太日川(江戸川の前身名)を関宿で利根川と合流させる大事業を計画。この事業の完成により太日川は利根川水系となり、名称も江戸川に改められ、この地に大きな繁栄をもたらせました。しかし、江戸末期になると利根川上流に中州ができてしまったため、関宿回りの航路に支障をきたし、柏-流山間は陸路となったことから、運河開削の気運が高まりました。明治21年7月に利根運河会社が政府事業に代わり開削に着手、明治23年5月すべての工事が完了しました。


貴重な写真や年表などを展示

 なお、公民館では、「大学開放講座」として、2月10日水曜日13時から14時30分まで江戸川大学おおたかの森サテライトセンター(TX・東武野田線流山おおたかの森駅1分)で「利根運河とボート遠漕」と題した記念講演会を開催します。隅田川(向島)から銚子まで、東京大学をはじめとする各大学ボート部がトレーニングの一環として遠漕を行ったなど、知られざる歴史・事実を貴重な写真により紹介するものです。講師は、今回の企画展で貴重な資料を貸してくださった古城庸夫さん。参加費500円。申し込みは文化会館で、電話で受け付け定員(100人)になり次第締め切りです。お問い合わせは、流山市文化会館04-7158-3462へ。


貴重な展示物の数々

旧制校寮歌「遠漕歌」(大正11年)の歌詞には、「運河にわめく舵の聲 江戸の流に浮びては 雲間のひばり友としつ 舌鼓うつ昼餉かな 流れも早き古利根川  漕ぐ手休めぬ運漕に 涙流すな流山 霞の奥に運河口」と歌われています。明治、大正と学生たちがボートで往来した利根運河の歴史。利根運河通水120周年のことし、散策のコースとしてぜひ利根運河交流館にお気軽にお立ち寄りください。お問い合わせは、利根運河交流館04-7153-8555へ。


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