ぐるっと流山 被災地の方々が流山福祉会館に避難

ページ番号7220 更新日 平成23年3月20日

温かいご飯や絵本などの善意が集まる

一階と二階に広間があります

 市では、今回の地震の被災者を流山福祉会館で受け入れており、3月20日現在、8家族が避難しています。最初に避難されたのはいわき市からの12人のご親族で、生後5か月のお子さんを抱えていることもあり、市内に住むご親戚宅を頼って流山市を訪れました。しかし12人と多人数であるため、そのままご親戚宅に住み続けるのは難しく、流山市役所に相談したところ、市では、お風呂があり、和室の広間などがある流山福祉会館(流山市流山2丁目)を3月16日から開放することにすぐに決め、毛布などを運び込み避難所として利用できるように整えました。


新聞販売店から新聞が

 新聞に掲載されたこともあり、福祉会館には市民の皆さんの暖かい善意が多数届けられています。取材時にも60歳代の女性(鰭ヶ崎)が訪れ「新聞で知って、福島出身なのでたまらず訪れた。午前中に来たら母校に通う高校生が避難していたので、チョコレートと漬け物を持って再度訪れました」と差し入れを受け付けに置いて行きました。同福祉会館は調理室がないため温かいものが食べられないのですが、近所の方々の善意で温かい食事が差し入れられることもあります。


井崎市長が慰問

 井崎市長も慰問に訪れました。避難所には大人だけでなく、子どもも多くいて、避難所の生活の様子を直接見て回りました。「食べ物や子どもの衣類、予防接種の手配、絵本の読み聞かせなど、様々な市民の心遣いに感謝しています」と避難されている方は話され、井崎市長も現地での状況などを聞いては、皆さんへ励ましの言葉などを述べました。


多くの善意が

 地元の新聞販売店から「ご自由にお読みください」と毎朝、ご家族分の新聞が無料で配達されています。3月19日には、市民の方が小さなお子さんのために絵本やボードゲームなどを貸し出しました。翌20日には、2.2キロのお餅をつくってプレゼント。高校生の磯野絢子さん(17)は「市内の朝市を載せた地図を持ってきました」と福祉会館の台所で食器を洗いながら話してくれました。


支援の輪広がる

 また、別の市民の方からも、小規模多機能型居宅介護施設ひまわりの家で台所やお釜などを借りて、ご近所の農家のお宅でお米をいただいて、「みんなでつくりました。おいしいですよ!召し上がってください」と3月20日の夕食には温かなご飯と豚汁が届けられました。また、犬を飼っていらっしゃるご家族は、近くのペットショップが愛犬を預かってくれたことに「温かい街ですね」と感謝されていました。


食事風景

 14人で避難されているいわき市のご親族は、原発の事故を受け、とにかくここから離れようと何の当てもなく常磐道をひたすら南下してきたそうです。「寝泊りだけできるところでいいので」と流山市役所に電話をし、流山福祉会館に避難することになりました。現地では断水の影響などもあり、震災発生からお風呂に入れず、ここで一週間ぶりの入浴をしたそうです。流山福祉会館に来るまでは現地体育館などの避難所を転々としており「ここは風呂もあるし畳の上で寝られる。暖房もあるし本当に感謝しています」と話しました。


南相馬市から避難された一家

 相馬野馬追いにも出られたと言う南相馬市原町からいらした男性(40)は、奥さまの妹さんのお住まいが流山市内だったことから、原発事故の放射能を心配して3月15日にお母さんと奥さま、3人のお子さんを先に流山市へ。ご自身はボランティアの消防団員のため地域の救助活動を続けていましたが、「お前は子どもが生まれるんだから行け」と上司に言われて決断されたそうです。奥さまのお腹には4か月の赤ちゃんがいます。「昨日、市役所の人に産科に連れて行っていただいて診断し安心しました」と語っていました。


絵本なども寄せられています

 消防団として活動をしていた様子を「まるで地獄絵図です。子どもたちには見せたくない」と語るご主人。3人のお子さんの長女は、今月23日に小学校の卒業式で祝辞を述べるはずでした。二女は、今月26日に卒園式で、小学校のランドセルも買ったのに置いて来てしまいました。小さなお子さんにはNPOの方々が絵本を読み聞かせしてくれていました。妊娠中の奥さまは「昨日、江戸川の堤に行ったら富士山がきれいに見えて励まされたような気がしました」と語っていました。


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