ぐるっと流山 前平井遺跡の現地説明会

ページ番号7112 更新日 平成22年7月20日

約1,200年前に開墾されたムラ

前平井遺跡の写真

 7月17日、発掘調査中の前平井遺跡の一般向け見学会が、現地にて行われました。発掘調査は、TX沿線整備事業に伴う区画整理に際して実施されています。今回開放した遺跡は今年5月からの調査ですが、一帯の調査としては平成9年度より行われています。同遺跡はTX流山セントラルパークから徒歩5分。当日は天気にも恵まれ、強い日差しが照りつける中、200人余りの人が訪れました。


出土したさまざまな時代の土器の写真

 今回発見されたのは、住居跡8軒と、コハク玉や「庄」などの文字の書かれた墨書土器などです。見つかった住居跡の時代はさまざまで、江戸時代に奈良・平安時代、最も古いものは縄文時代で、年代としては5,000年から6,000年前になるそうです。コハク玉は当時から貴重なもので、当時の人たちが代々所有していたものと考えられます。「庄」と墨書された土器は9世紀台のもので、ほぼ完全な形で出土されました。「庄」の文字は、新田開発の時期と重なることから、「荘(庄)園を指しているのでは」とのことです。


遺跡内を自由に見学している様子の写真

 見学会は自由に遺跡内を見てもらう形式で実施。住居跡などに案内板などが立ててあり、近くにいる係員が詳しい説明も行っていました。係員が市内に約220の遺跡があると紹介すると「そんなに。知らなかった」と見学者は驚いた様子。「なぜ遺跡だと分かるの?」と尋ねると、「土の色で見分けています」。昔の人が掘った跡は、他とは違った土が溜まり、黒くなるそうです。よく見ると、ロープで囲われた一帯の土は黒くなっています。これは、これから調査予定の箇所です。


係員の解説の様子の写真

 遺跡の見かたについて係員が詳しく教えてくれます。例えば、住居の周囲のけずられた部分はかまど跡で、それが2つあるということから、同じ敷地内で建て替えをしたことが分かります。またぽっかり空いた穴は柱の跡で、土が硬くなっている部分は、踏み固まったためと想像できるので、住居の中心スペースだったことが分かります。時代によって住居に特徴があり、縄文時代は円形で、炉が中心にあり、古墳時代後期ごろからかまどが使われるようになり、住居の形も円形から方形へと変わっていったそうです。


前平井遺跡の写真

 鰭ヶ崎の東福寺から茂呂神社にかけての一帯は、6世紀から9世紀の終わりに大きな集落がありました。住居跡も200件ほど見つかっています。この辺りは台地になっているため、洪水の心配がないこと、そして降りれば水があることから住みやすい場所であったようです。市内だと東武線沿線は低地であるため、遺跡が少ないそうです。今回の遺跡調査は7月いっぱいまでを予定しています。遺跡のほとんどは調査後に造成され、宅地などになってしまうため遺跡として見られる期間はわずかです。今回の見学会は、自分の住んでいる土地について考える貴重な機会となったのではないでしょうか。 なお、市博物館では市内から出土した縄文土器を展示した「ドキッとしようよ~縄文土器の世界~」を開催中です。


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