ぐるっと流山 流山小学校児童が地元の史跡学習

ページ番号7579 更新日 平成23年7月1日

流山小学校の3年児童が史跡めぐり 「史跡ガイドの会」の皆さんを先生に

流山小学校発祥の地でもある常与寺

 6月30日、「NPO法人史跡ガイドの会(青柳孝司理事長)」の皆さんが、流山小学校3年生の総合学習「わたしたちのまちじまん」の授業に先生として登場しました。これは、市が小学校区単位で進める地域まちづくり協議会モデル事業の一環として行われたもので、流山小学校周辺のいわゆる「流山本町界隈」にある赤城神社や近藤勇陣屋跡、浅間神社などの史跡を会の皆さんが子どもたちに紹介する授業。2日間、8グループに分けて行われました。


碑を前に青柳理事長が解説

 青柳理事長が授業を行った常与寺は、千葉大学教育学部の前身である千葉師範学校発祥の地であると同時に、現在の流山小学校の発祥の地でもあります。青柳理事長のお話しでは、明治5年(1872年)8月に明治政府が全国に出した学制の発布(寺子屋や藩校の廃止と小学校の建設)を受け、当時の印旛県令・河瀬秀冶が翌9月には常与寺に印旛官員共立学舎(先生と子どもを同時に教育する学校)を設立。現在の千葉県内で最初にできた小学校となったそうです。


浅間神社の富士塚

 水運の要であった江戸川と船着場の流山河岸と加村河岸、万丈みりんなどの産業、江戸時代の大名田中藩・本多家という大きい屋敷があったことなどの要因が複雑に絡み合い、印旛県庁が本多家跡(現在の市立博物館)に置かれ、そして、教育に熱心だった県令・河瀬の存在で県内初の小学校ができたそうです。青柳理事長は「流山小学校の子どもたちは、礼儀も正しく、あいさつや話しを聞くなどの基本的なことがきちんとできる子ばかり。これも、140年前から受け継がれる教育に熱心な土地柄なのかもしれませんね」と話します。


閻魔堂

 現在自分たちの通う流山小学校が、元々お寺にあったことを初めて知った子どもたち。「君たちのひいひいおじいさんの頃は、このお寺にあった流山小学校に通っていたんだよ」と聞かされると、興味深そうに聞き入っていました。同小学校の石黒清子先生は「流山小学校の周りには、自慢できる場所がいっぱいあります。子どもたちも、ガイドの皆さんからじっくり説明を聞いて、普段何気なく見ている史跡の魅力と流山の歴史を感じることができたのではないでしょうか」と初めての試みに好感触の様子。


近藤勇陣屋跡

 青柳理事長は「史跡は歴史の足跡。それは当時生きていた人が残した足跡でもあります。元々流山に住んでいる子どもたちも、新たに流山に来た子どもたちも、自分の故郷をきちんとした形で体系的に知っていて欲しいと思います。それが大人になったときに、自分のアイデンティティであり、土台となるものとして思い返されるものになります」と話してくださいました。


復元された砲台

 史跡ガイドの会の皆さんは、元々は公民館の講座で出合った方々。現在15人で運営しており、公民館の講座で講師を務めるほか、一般の方々の史跡めぐりのガイドもしています。平成19年の発足当初はガイド依頼が一切なかったそうですが、翌年には80人、その翌年には400人と徐々に依頼が増え、昨年は年間で1,000人を超える方をガイドしています。


流鉄流山線の歴史も

 流山本町界隈は、流山の地名の由来とも言われる伝説の残る赤城神社に始まり、一茶双樹記念館、近藤勇陣屋跡、印旛県庁跡など多くの史跡が密集しており、ガイドでは、2時間から2時間半かけてじっくり解説を聞きながら周れるそうです。歴史上の人物も多く登場し、義賊・金子市之丞の墓所と閻魔大王を向かい合わせに配置した閻魔堂や、正式な所作・作法に則って作られた浅間神社の富士塚など、解説を聞きながら見学すると非常に興味深いものばかり。史跡ガイドのツアーに興味をお持ちの方はNPO法人流山史跡ガイド事務所(電話:04-7159-5486)へお問い合わせください。


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