ぐるっと流山 「クミコ~INORI」コンサート

ページ番号6668 更新日 平成24年1月16日

クミコ~平和都市宣言25周年INORI(祈り) 東日本大震災被災地復興支援チャリティコンサート

「クミコ~INORI(祈り)」コンサート

 1月15日(日曜日)、文化会館で「クミコ~INORI(祈り)」コンサートが行われ、約600人の方々がクミコさんの迫力ある歌声を楽しみました。一昨年末は、終戦65周年の節目の年にNHK紅白歌合戦で、平和への願いをこめた「INORI~祈り~」を熱唱したクミコさん。昨年末からは、3・11の自らの被災体験から東日本大震災の被災地復興支援活動として東北を中心に「きっとツナガル」を歌っています。

 平和都市宣言をして1月で25周年を迎える流山市で「INORI~祈り~」を、姉妹都市・福島県相馬市と災害応援協定を締結し3・11以来さまざまな支援活動を続けている流山市で「きっとツナガル」を。流山市平和都市宣言25周年、東日本大震災復興支援チャリティコンサートと銘打ったクミコさんのコンサートは、流山文化のまちづくり実行委員会と市教育委員会が昨年から準備を重ねてきた企画です。

 クミコさんは、震災当日に宮城県石巻市におり、自身も被災。コンサートが開かれる予定だった同市の市民会館から必死の思いで裏山に逃れ、一夜を山中で過ごしました。石巻市に住む楽器店の店長・井上晃雄さんと出会い、津波にのまれてしまったグランドピアノを再生しようと懸命に生きる井上さんの姿に感動。クミコさんは「ピアノが再生したときには、私が歌います」と"共演"を約束し、震災から半年後の9月11日にその約束を実現しました。

  歌声で被災地に感動を与えたクミコさんは「今一番必要なのは、子どもたちの命を守ること」と立ち上がり、プロジェクト設立を決意。活動の第一弾として、昨年11月11日より『きっとツナガル募金 一歩だけ前へ』と題した募金活動を開始。集まった義援金は『石巻の学校の環境整備のための支援』『福島の子どもたちの短期疎開のための支援』に充てられる予定です。

  会場には、「きっとツナガル募金」の募金箱も置かれ、こちらには8万8千円を上回る善意が寄せられました。この日は、地元・東葛飾高校出身の作詞家・覚和歌子さんの作詞で、作曲家・三木たかしさんの遺作となった「届かなかったラブレター」をはじめオリジナルの「わたしは青空」、「十年」などが楽しいお話と迫力の熱唱で披露され、文化会館のスタッフも演出を凝らした照明で舞台を盛り上げました。


「INORI~祈り~」

  クミコさんが紅白で歌った「INORI~祈り~」は、広島で2歳のときに被爆し、10年後に白血病を発症してこの世を去った佐々木禎子さんと平和への思いを綴った歌。「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの甥・祐滋さんが作詞作曲し、「より多くの人に伝えるためにぜひ唄って欲しい」と、クミコさんに託した歌です。

  当日は、クミコさんが命名したバラの新種「ローズ・ドゥ・クミコ」の苗10鉢が販売され、売上金の2万円全額を東日本大震災の被災地支援として「きっとツナガル募金」に全額寄付されました。バラを開発した流山市内の造園会社ペレニアルが、地元でのコンサート開催を知り苗の提供を申し出てくださったもの。バラの命名は昨年5月に長崎県のハウステンボスで開かれた未発表の新種バラを披露するイベントで、ペレニアル所属の育種家・河合伸志さんが作出したバラを、イベントゲストのクミコさんが名付けたものです。

  コンサート後のサイン会では、福島から避難されてきた方々もおられ「立ち入り禁止区域なんです。家がなくなっちゃいました」。握手の後に、クミコさんが「お元気で」と声を掛け、「クミコさんもお身体、気をつけて頑張ってください」と答えながら会場を後にしました。アンケートにも「感動しました」という内容の記述が多く、クミコさんの熱唱に満足された様子がうかがえました。主催した流山文化のまちづくり実行委員会では、今後もこうしたコンサートなどを展開していきたいと語っていました。


このページに関するお問い合わせ

ぐるっと流山に関するお問い合わせは、担当課のページからお問い合わせください。
担当課のページ