ぐるっと流山 男女共同参画室主催講座「元始、女性は太陽であった」

ページ番号12414 更新日 平成24年7月19日

男女共同参画室主催講座 「元始、女性は太陽であった」~青鞜(せいとう)100年から次の100年へ平塚らいてうのメッセージを聴く~

講師の米田 佐代子さん

 7月7日、中央公民館で、文芸雑誌「青鞜(せいとう)」の発刊100年を記念して、NPO法人平塚らいてうの会会長・らいてうの家館長の米田 佐代子さんを講師にお招きし、青鞜発刊にまつわるエピソードや、平塚らいてうをはじめ青鞜をとりまく女性たち、平塚らいてうの夫である奥村博史などについてお話を聞きました。およそ40人の参加者は、米田さんの素敵な笑顔と、らいてうの興味深い話に引き込まれていました。
 


参加者のみなさん

  『平塚らいてう』は、本名を明(はる)といい、一般的に、強い運動家としてのイメージがあります。しかし、遺品の着物から細身で小柄な女性であったこと、小さな時から「くぐもるような」声で、電話と講演が苦手だったと言われていて、不屈のエネルギーはどこから湧いてくるのか不思議なくらいだそうです。1911年日本初、女性の女性による女性のための「青鞜」を創刊し、創刊の辞「元始女性は太陽であった」は、今でも女性解放の原点を示す金字塔として輝いていますと話されました。


平塚らいてう

 らいてうは、奥村博史と結婚し、一男一女の母でした。母親になってから「命のすばらしさ」を実感し、子どもを守るために女性の手で戦争のない世界を作ろう、それには女性の権利が必要だと女性参政権運動を始めたそうです。1911年、「青鞜」が発刊されて100年が経ちますが、この本のメッセージは、現代にも通じるものです。今、私たちたちが目指している「男女共同参画」のさきがけといえるメッセージがずらりと並んでいます。53冊発行された「青鞜」の内、全書巻がそろっている図書館は無いそうです。
 


およそ40人の方が参加されました

 100年前に声を上げた若き女性群像―らいてうは、どんなに非難されてもからかわれても、「羽衣を奪われた天女」のように地に落ちる思いを抱えながら後ろを振り向かず、「わたしはわたし」の生き方を通したそうです。そこかららいてうは、女性が自分で考えること、女性が自ら権利主体になること、そして命を守る平和の担い手になることと、他者を愛する事の大切さを発見していったといわれています。


米田さん

 最期に米田さんは、現代は女も男も生きにくい時代です。さあ、次の100年に向かって私たちも歩いて行きましょう! とエールを送られました。参加者からは平塚らいてうについて、小説的な知識しかなかったが、自分の生き方を考えさせられた。流山市で米田さんのお話しが聞けるとは思わなかったなど、感想がたくさん寄せられました。


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