ぐるっと流山 流山本町の昔を語る会

ページ番号14709 更新日 平成25年1月23日

流山本町の昔を語る会 正月をことほぐ三河万歳

流山福祉会館で開催

 1月19日(土曜日)、古き良き時代の流山を語り継ごうと、万華鏡ギャラリー見世蔵が毎月開催している「流山本町の昔を語る会」が行われました。この日のテーマは「正月をことほぐ三河万歳」で、「みりんの香る街 流山」や「東京新田を歩く」など郷土史に関する著書を多数持つ青木更吉さんが、座談会形式で語りました。


三河地方に伝わる伝統芸能

 三河万歳は、現在の愛知県安城市など三河地方に伝わる正月の祝福芸で、国の無形民俗文化財にも指定されています。烏帽子を被り、笏を手にした神主の恰好で祝詞を奏上する「太夫」と、鼓を打ちながらおどけてみせる「才蔵」が二人一組で、祝詞のような節をつけた漫才を歌ったり踊ったりしながら披露する民俗芸能です。


流山へは江戸時代から来ていました

 なぜ流山の歴史を語り合う場で三河万歳を取り上げるかというと、江戸時代から現代に至るまで、千葉県で唯一、流山に三河万歳が正月の時期にやって来ていたからで、小林一茶も三河万歳のことを詠んだと思われる句を流山で残しています。江戸時代から毎年来ていた三河万歳ですが、二人が一人になり、ついには一昨年を最後に来なくなってしまいました。


一月末あたりに来ていました

 流山へは毎年一月末あたりに、光明院や流山寺などの寺社や、清水屋や新川屋などの大きな商店へやって来ていたそうです。神棚の下で祝詞を上げ、めでたい祝い言葉を掛け合いで唱えてはご祝儀をもらって家々を回りました。ちなみに、神主の恰好で祝詞を上げますが、訪れる家のことを「檀家」と呼んでおり、このあたりに日本独特の神仏習合が見られるとも青木先生は話していました。


流山へ来た理由は分かりません

 さて、なぜ三河から遠く離れた流山へわざわざやってきたかということについては、残念ながらはっきりとは分かってはいないそうです。参加者の中には本町の昔を知る方も多くいて、「流山本町には檀那さまが多かったからではないか」や、江戸時代には日本橋で才蔵を雇う市が行われていたことに触れ、「水運が栄えた流山では、日本橋とはすぐ近くだったからでは」などの意見が交換されました。次回は2月16日に「みりんと流山」をテーマに、前流山市立博物館館長の川根正教さんにお話していただきます。申し込みは見世蔵へ(04-7103-2817)。


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