ぐるっと流山 秋元恒展 北総に生きて

ページ番号19751 更新日 平成26年1月6日

秋元恒展

   「秋元恒展~北総に生きて」が1月5日(日曜日)から流山市生涯学習センターのギャラリーで開催されています。初日となった5日には、多くの絵画ファンや故人を偲ぶ方々が訪れました。会期は18日(土曜日)までの10時から18時。15日(第3水曜日)は休館です。入場無料。この絵画展は、故・秋元恒氏の遺作展。流山市美術家協会の発足や流山市展の開催などに尽力された元・市教育委員、秋元画伯の作品を一堂に集めた市内初の個展を故人の遺志を尊重して関係者の皆さんが開催しているものです。


多くの絵画ファンが訪れました

   秋元恒氏は、1928(昭和3)年7月、流山市に生まれ、1945(昭和20)年に東京美術学校油画科に入学。1947(昭和22)年、19歳のときに流山の美術運動のパイオニアとして、笹岡了一氏、秋元松子氏、千澤てい治氏、小谷栄五郎氏と共に、5名が同人となり「流山美術懇話会」を発足させました(後に「文化協会」として発展)。1951(昭和26)年、23歳のときに油画科安井教室の同級生6名によって「白軌会展」が結成され、これに加わり、以後、56年まで日本橋・丸善画廊を中心に7回展まで開催。1952(昭和27)年、24歳で第4回千葉県展(千葉県美術会主催)に「下総台地の麦畑」を初出品。1956(昭和31)年、28歳で第33回春陽展に初入選、以後毎年出品を続けました。


故・秋元恒氏の遺作展

   1957(昭和32)年、29歳のときに「L・T・S笹岡絵画研究所」に学び、1969(昭和44)年、41歳のときに第46回春陽展「切通し」「立木」で、研究賞を受賞。1972(昭和47)年、44歳で京橋・中央公論画廊において画廊企画による作品展を開催。1976(昭和51)年、48歳のときに第53回春陽展「高生垣の家」「杉」で、会員に推挙。翌1977(昭和52)年、「流山市美術家協会」が発足し、初代会長笹岡了一氏と共に、幹事として活動を開始します。そして、1980(昭和55)年、52歳のときに「第1回流山市民美術展(現在は流山市展)」が開催され、以後毎年出品しました。


秋元画伯の作品を一堂に集めた市内初の個展

   1981(昭和56)年11月、ギャラリー・ジェイコにおいて自選展「秋元恒油絵個展」(渋谷)を開催。翌1982(昭和57)年、第21回国際形象展に招待出品し、以後、第25回展(1986年)まで毎回出品。1987(昭和62)年、59歳のときに第53回春陽展出品作「高生垣の家」が千葉県美術館に収蔵されました。1991(平成3)年7月から流山市教育委員として活躍されます(~平成12年9月まで)。2000(平成12)年、72歳で流山市美術家協会会長に就任。春陽会会員、叢の会同人、千葉県美術会常任理事として活躍されました。そして、惜しまれながら2012(平成24)年11月、逝去されました(享年84歳)。今回の絵画展は、このはな幼稚園の主催、流山市教育委員会と一般社団法人春陽会の後援で開催されています。お問い合わせは、このはな幼稚園04-7158-0264へ。


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