ぐるっと流山 「無言館」館主 窪島誠一郎による講演会

ページ番号18308 更新日 平成25年9月9日

「無言館」のこと

無言館の講演会

 無言館の絵画は、反戦平和だけを訴えて描かれているのではない。大好きな人、愛する人、ごく身近で自分を愛してくれる人、こんなにも素敵な山河を描いているだけ。絵を描く喜びに燃えて、絵を描くことが嬉しくてたまらない、そんな自分がここに生きているという証を刻み込んだ絵なのです。だから皆さんには、彼らの絵を目にして、愛する人や自分が何を大事にして生きてきたかを感じ取って欲しいのです。


窪島誠一郎さんによる講演会

 現在、生涯学習センターで開催されている無言館展「祈りの絵展」の関連企画、館主窪島誠一郎さんによる講演会『「無言館」のこと」』が、9月7日(土曜)に開催されました。当日は、会場となった生涯学習センターホールのみならず、ロビーや通路の特設席も満員で、立見の方がでるほど、多くの方が集まりました。無言館のことを先の言葉で語る窪島さんは、村山塊多などの夭逝画家やその作品を収蔵した信濃デッサン館、無言館のきっかけなど、約2時間多くの事を語りかけました。


祈りの画集

 無言館のきっかけは、20年前にたまたま見かけた「祈りの画集」と、その編者で自らも戦地へ赴きながら、病を患い復員して、今も日本画家として絵を描き続ける野見山暁治さんとの出会い。絵描きを目指した仲間たちの遺族を訪ね、その作品を纏めた「祈りの画集」に興味を持った窪島さんに野見山さんはこんな事を語りました。「戦後50年以上が経って、父も母も亡くなって、死んだ仲間たちの絵が今どうなっているかと思うと気が気でない」この言葉をきっかけに、一本の糸を手繰り寄せるように、北は北海道江別市から、南は鹿児島
県種子島まで、全国57か所を巡り、無言館の絵を集めたそうです。


ホールに入りきれずに会場外から中継も

 出征兵士を送る歓迎会に、なかなか部屋から出てこようとしない。家族が迎えにいくと、「あと5分、あと10分この絵を描かせて下さい」と語り、モデルを務めた恋人には、「生きて帰ったら必ずこの絵を描くから」と言い残して戦地に立ったが、帰らぬ人となった。この絵の裏には、「小生は生きて帰らねばなりません。この絵を描くために」と書かれていた。妻のお腹に宿した、まだ見ぬ子の寝顔のスケッチ。一度も見たこともない筈なのに、その表情が生まれてきた子そっくりだった。そんな種子島出身、浜松出身の印象深いある画学生の話には、会場からすすり泣く声が聞かれました。


9月16日(祝日)まで生涯学習センターで開催中です

 そして、「つい最近も高知県で一人の戦没画学生の絵が見つかりました。また自分の人生を考えながら訪れたいと思っています。」との言葉で最後を締めくくりました。『無言館は、戦地から送られた焼け焦げた遺留品を集めた美術館ではありません。「俺は絵を描いているぞ。好きな絵を描いているぞ。」という、若者たちの命の欠片を掲げた美術館です。』そう窪島さんが語る無言館の作品展は、9月16日(祝日)まで、生涯学習センターで開催中です。


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