ぐるっと流山 博物館友の会講演会「子孫が語る勝海舟」

ページ番号20969 更新日 平成26年5月13日

講演会「子孫が語る勝海舟」

   「子孫が語る勝海舟」という講演会が4月29日(祝日)流山市生涯学習センターで開催され100人を超す歴史愛好家らが幕末に活躍した海舟の興味深い話に耳を傾けました。講師は勝海舟の玄孫(やしゃご)にあたられる高山みな子さん。高山さんは、鎌倉に生まれ、慶應義塾大を卒業され、現在、鎌倉市材木座で、ガラス彫刻作品並びに工芸作品の製作・販売を行う「鎌倉谷戸の工房」を主宰されるガラス工芸家で全国推奨観光土産品理事長賞を受賞。また、フリーランスライターとして海舟や海舟ゆかりの地、人物などについての著述、講演を行っています。


講師は勝海舟の玄孫にあたる高山みな子さん

   この日、お嬢様が通われる学校でバザーをしてから流山にいらした講師の高山さん。有志共立東京病院を見学した大山捨松が、病人の世話をしているのが男性数名であることに衝撃を受け、日本に看護婦養成学校が必要なことを説き、明治17年(1884年)6月12日から3日間にわたって「鹿鳴館慈善会」を開き、養成学校設立の資金としたのが日本初のチャリティーバザーであるという話から講演を始めました。


100人を超す歴史愛好家らが参加しました

   勝海舟の三女で、専修学校(現:専修大学)の創立者である目賀田種太郎に嫁いだ逸(いつ)の子・高山正代から生前の勝海舟の話を直接聞いた子孫として五代目にあたる高山さん。下戸であった海舟は甘いものが好きで、赤坂の屋敷には「お菓子部屋」があったことを当時の屋敷の平面図で示しながら説明。咸臨丸で渡米した際のハワイの新聞記事や、咸臨丸に同乗したジョン・M・ブルック大尉の玄孫(やしゃご)・ブルックス5世が保有する海舟の油絵肖像画など目に見える形で難解な歴史を平易に解説していきます。


流山市立博物館友の会が主催の講演会

   海舟は文政6(1823)年、本所亀沢町で貧しい旗本の長男として生まれ、少年時代は12代将軍家慶の5男初乃丞の「学友」として選ばれ、剣の修練を重ねた後、「向島弘福寺」で禅の修行を積み、生まれながらの身分、階級に苦労した末、渡米して能力があるものが役職につく機会がえられる平等を学んで帰国しました。その子孫である曾祖母や祖母がハンセン病患者のための復生病院へ援助をされた話などを淡々と話され、参加者は、幕末から平成までの一族の家族史から日本全体の歴史を学ぶひとときを楽しみました。この講演会は、流山市立博物館友の会(辻野吉勝会長)が主催しました。


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