ぐるっと流山 鰭ケ崎おびしゃ行事

ページ番号32940 更新日 平成29年1月27日

七福神が鬼の顔の的に矢を放つ 今年は多数命中の当たり年

七福神の集合写真

 平成29年1月20日(金曜日)、鰭ケ崎の雷神社で「鰭ケ崎おびしゃ行事」が行われました。この行事は、かつては1年の当番7人が耕作した備社田(神社が所有する田んぼ)で収穫された米や野菜を奉納し、五穀豊穣や家内安全を祈願する行事でした。現在では、備社田の耕作はありませんが、祝詞奏上、玉串奉天、トウ渡し、的撃ち、直会(なおらい)、送り込みなどの一連の儀式が江戸時代の享保年間(1716年)から脈々と受け継がれ行われており、昭和52年には市内初の市指定無形民俗文化財に、平成6年には県の記録選択文化財となっています。


神前儀式の写真

 「おびしゃ」は弓を射る「歩射(ぶしゃ)」からきているといわれる、利根川流域で多く見られる正月行事です。鰭ケ崎のおびしゃは、多くの行事が土・日曜に行われるようになっている中、曜日に関係なく毎年必ず1月20日に行われています。両側をマンションに囲まれ、住宅地の中にひっそりとたたずむ雷神社。新聞社やJ:COMなどの取材のほか、儀式が始まる15時には、カメラを持った一般の見物客も多く訪れました。


「トウ渡し」の儀式の写真

 平成22年から始まった、行事の前に鰭ケ崎小学校に七福神が出向く課外授業は今年も行われました。社殿では、諏訪神社の古谷和史宮司による祝詞奏上や玉串奉天から始まり、続いて、新旧の7人の当番が引き継ぎを行う「トウ渡し」の儀式。色鮮やかな衣装を身にまとった旧当番の七福神と、裃に身を包んだ新当番が向かい合い、神酒を酌み交わして引き継ぎを行います。当番の中心となる「初戸(ハナト)」は、小野貞弘さんから宮田弘明さんへと引き継がれました。


「的撃ち」の写真

 そしていよいよ儀式の最大の見所でもある「的撃ち」の始まり。大勢の観客が見守る中、拝殿から鳥居側に据えられた赤鬼・青鬼の的に向かって紅白の弓矢で射抜きます。今年は矢を的に命中させた方が多く、「いい年になりそう」とのことです。なお、鬼の的は、現在は印刷ですが、かつては当番の方の手描きで、毎年変わる鬼の表情がなかなか味わい深かったといいます。


「送り込み」の写真

 的撃ちのあとは「送り込み」です。送り込みは、花で飾られた軽トラックに酒樽や味噌樽、おびしゃに使う道具などを乗せ、七福神や護持会の皆さんの先導で、道具を引き継ぐ儀式です。従来、送り込みは行事の最後に行われていましたが、近年は直会(なおらい)の前に行われています。七福神の皆さんが、「オー」「送り込みだよー」と声を上げ、町内をぐるっと回りました。


直会(なおらい)の写真

 神社に戻ると直会(なおらい)が始まります。直会は、行事で奉納したものを皆で食べる宴会のようなものです。上座には、大根の胴にねぎの首を付けた鶴と、聖護院大根の体にゴボウの頭を付けた亀の飾りが置かれ、氏子の皆さん、新旧の当番が左右の席に分かれます。


獅子舞の写真

 しばらくすると恒例の赤城保存会によるお囃子と神楽の奉納です。獅子舞が威勢よく座敷の中を舞うと、次々におひねりが投げ込まれ、列席者の頭を噛むなどして回ります。お酒の入った杯を渡されて勢いよく飲み干す獅子舞に、皆さんから喝采が起こりました。


狐とひょっとこによる「種貸し」の写真

 次に披露した神楽は、狐とひょっとこによる「種貸し」です。狐の種まきを田吾作が邪魔する内容で、演者のひょうきんな動きに宴席は笑い声に包まれ、大いに盛り上がりました。


「謹賀新年」と書かれた半紙をくわえる獅子舞の写真

 その後、閉宴となり、一連の儀式は幕を閉じました。鰭ケ崎おびしゃ行事保存会の会長・鈴木正彦さんは「旧当番の皆さん、1年間お疲れさまでした。伝統行事が先祖から代々受け継がれているというのは大変すばらしいこと。新当番の皆さんは、次の代へとつながる1年間のお務め、よろしくお願いします」と話してくださいました。
 新しい7人の当番は年4回行われる「おこもり」や、分雷(わけいかづち)神社への代参など1年間のお務めを行い、来年の1月20日には、また七福神の姿を見せてくれます。
 


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