ぐるっと流山 福島県人会の避難者支援イベント

ページ番号9798 更新日 平成24年4月9日

北部公民館で“支え支えられてお互いさま” 福島県人会の避難者支援のイベント

約180人が参加

 東日本大震災から1年以上が経過しましたが、被災地から流山に避難されている方々は、まだ数多くいらっしゃいます。こうした避難者と市民の方々の交流イベントとして4月8日、北部公民館で東日本大震災1周年を追悼した“支え支えられてお互いさま”が行われました。これまで様々な形で避難者を支援してきた流山市福島県人会(鎌田忍会長)の主催で行われたもので、当日は避難者50人、一般の参加者130人が集まりました。


素敵な小箱をプレゼント

 開会の冒頭には、震災で亡くなられた方や行方不明者、そして流山に避難されてきて、今年1月に突然亡くなられてしまった遠藤英雄さんに1分間の黙祷が捧げられました。続いて、ながれやま小箱の会が避難者のためにと2か月かけて作ったという「善意の絆箱」約60個が、93歳になられる代表の志田房雄さんから避難者にプレゼントされました。この小箱には、「どうぞお体を大切になされてお幸せになって下さい」といった、会員の皆さんからの心温まるメッセージが添えられていました。


追悼コンサート

 大会議室で行われた追悼コンサートでは、白鳥音楽教室の白鳥さんご夫妻が箏と尺八の演奏で「春の海」「涙そうそう」の2曲を聴かせてくださいました。お二人は、ケアセンターや幼稚園、地域のイベントなどで演奏活動を続けていらっしゃるそうです。続いて、尺八の演奏で宮城県女川町から避難されてきた遠藤すみ子さんが「斉太郎節」を披露してくださいました。「えんやとっと、えんやとっと・・・」と威勢良い大漁唄で、だれもが聞いたことのある宮城県を代表する民謡です。会場の皆さんも手拍子とともに一緒に歌い、大合唱となりました。


被爆体験を赤裸々に

 追悼講演では、NPO法人日本交流分析協会理事長の飯田国彦さんによる貴重な広島の原爆体験が語られました。3歳の時に爆心地から900メートルという至近距離で被爆された飯田さんは、奇跡的に命を取り留められたとのこと。今回の福島第1原発事故の発生を受けて飯田さんは、原爆と原発事故による放射能の影響は全く別物だということを世に知らせることが自分の使命と、全国で講演活動を続けられているそうです。被ばくした直後の広島の悲惨さや、被ばくによる健康への影響を心配しながらの生活を涙ながらにお話しされました。


昼食には美味しいお弁当を

 お昼には、避難者の皆さんに健康を育てる会・流山の皆さんが「健康を支える栄養学」に基づき調理したお弁当が配られ喜ばれました。また、一般参加者にも福島県浪江町のご当地グルメ「浪江焼きそば」や豚汁が振る舞われました。浪江焼きそばは、もやしを具にした太麺に甘いソースが特徴で、とても美味しいと好評でした。福島県双葉町から避難されてきている加川澄子さんは、「流山に来て1年になりますが、季節に合わせた物品の支援など福島県人会の皆さんには本当にお世話になっています。生活はだいぶ落ち着きましたが、これから先のことを考えると不安になることもあります」と胸の内を話してくださいました。


ハンズセラピー

 和室では、福島県人会の支援イベントには欠かせなくなったセラピーコーナーが設けられました。今回は、ハンドセラピー、フェイスセラピー、カラーセラピーの3種類。ハンドセラピーによる足裏マッサージを担当された原田昌代さんは3回目の参加です。「マッサージをしているうちに皆さんの心も柔らかくなって、心の内を話していただくこともあり少しは役に立てているかなと、自分も幸せな気持ちになります」、この日も「気持ちいいです。今日はいつもよりぐっすり眠れそうです」という避難者の言葉に、嬉しそうな笑顔を返されていました。


避難者支援を続ける福島県人会

 福島県人会の富岡恒雄さんは、「最初は、県人会だけで小さな支援から始まりましたが、今回は14もの団体や企業から協賛をいただき大々的なイベントとして開催できたことがうれしいですね。これからは、避難者一人ひとりの事情に合わせた支援が必要になってくると思います。皆さんの要望を聞きながら息の長い支援を続けていくつもりです」と語ってくださいました。“支え支えられてお互いさま”は、県人会の皆さんの本当の心根。「避難者の皆さんには、遠慮しないで何でも相談していただきたい」という想いが込められているようです。


このページに関するお問い合わせ

ぐるっと流山に関するお問い合わせは、担当課のページからお問い合わせください。
担当課のページ