ぐるっと流山 第31回運河塾「流山市と利根運河の希少種 川と森を活かした街づくり」

ページ番号24764 更新日 平成27年3月3日

会場が満席となる約100人が参加しました

   平成27年2月28日(土曜)、流山市生涯学習センターで第31回運河塾「流山市と利根運河の希少種 川と森を活かした街づくり」(利根運河の生態系を守る会主催)が行われ、次の5つの発表がありました。(1)市野谷の森(オオタカ)の変遷(2)利根運河の希少植物(3)利根運河の寄航場は5個所にあった(4)東京理科大学と連携した自然環境保全(5)流山市と利根運河の希少種。4階大会議室が満席となる約100人が参加しました。


テーマは「市野谷の森(オオタカ)の変遷」

  講演1は紺野竹夫さん(流山のオオタカを守る会)の「市野谷の森(オオタカ)の変遷」。1992年に市野谷の森(50ha)でオオタカの繁殖を確認(千葉県初)。1994年、オオタカのヒナ3羽が密猟される。1995年、密猟監視活動を開始。1996年から繁殖に成功。2000年、TX工事で倒木・伐採が始まり森は約24haに半減する。2011年、2013年、2014年は巣立ちを確認。県立市野谷の森公園の早期実現を願うと結びました。


テーマは「「利根運河の希少植物」

   講演2は柳沢朝江さん(同会植物調査班リーダー)の「利根運河の希少植物」。31種の希少植物(環境省及び千葉県)を確認。希少植物保全区A(ノウルシ)、B(トネハナヤスリ、フジバカマ)、C(レンリソウ)、D(ヒメシオン)、ほかの現状。保全活動(記録を付ける/保全種廻りの草刈り/種を飛ばす迄見守る)。希少植物の現状。大切なこと(利根運河周辺の森や湿地の保全/定期的な土手の草刈り/園芸種、外来種を持ち込まない/希少種を持ち出さない)。
 


利根運河の大正7年ころの寄航場

   次は10分スポットで新保國弘さん(東葛自然と文化研究所)の「利根運河の寄航場は5個所にあった」。水運時代の利根運河には5つの寄航場があったことを当時の時刻表や運賃表から確認。寄航場名は江戸川口から順に深井(明治26年から)、運河(大正7年)、三ケ尾(明治36年から)、船戸(明治26年から)、東運河(大正9~12年)。利根運河では大正13年に通運丸など三大蒸気船(石炭)が廃止され、発動機船(石油)に代わったと認識。


テーマは「東京理科大学と連携した自然環境保全」

   講演4は飛島幸則さん(国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所調査課長)の「東京理科大学と連携した自然環境保全」。平成19年設立の利根運河協議会の一事業として、落差のある境田樋管の魚道設置計画に合わせ、平成27年2月に、東京理科大学と東邦大学の教員・学生さんほか約60名で、理窓公園内谷津湿地(東深井・下三ケ尾)に2つの池(水路に接続する池、水路から独立した池、どちらも約6mの大きさ)を手作業で掘りました。


「流山市と利根運河の希少種」

   講演5は田中利勝さん(同会代表)の「流山市と利根運河の希少種」。平成5年の市野谷の森は平地や丘陵地の花や昆虫が沢山いて牛飼沢の池もあった。天神社周辺の湿地には森から流れる小川があり日本の原風景だった。市野谷調整池をつくる時の仮調整池の扱いが良くなかった。運動公園は池を埋め、斜面林下の湿地も消失してしまった。古間木の川づくりを見て何でこんな…と。西初石小鳥の森は多様な環境。新川耕地の環境も残していきたい。


多くの方が参加した会場

  参加された方々から、「市野谷の森、利根運河の重要性を改めて知った」。「市野谷の森の変遷を詳しく聞けて良かった」。「利根運河に関する実態(過去と現状)をこれほど調査されていることに感激」。「鳥の話、草花の話、池づくりの話、盛り沢山で面白かった」。「東京理科大学と連携した湿地づくりに期待します」。「寄航場の話も思いは明治に飛んで面白かった」などの感想をいただきました。


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