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近藤勇 陣屋跡
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 (会津と新選組

・板   橋
 (近藤勇の墓










新選組の誕生
 新選組は、文久3年(1863年)3月に京都郊外の壬生村で、14名程の同志により結成された。彼等の身分は「京都守護職松平肥後守お預かり」の肩書で、尊皇攘夷の気概をもつ集団であり、京都市中見回り(治安維持)が任務であった。

鳥羽伏見戦争・勝沼戦争
 慶応3年(1867年)、朝廷(主力は薩摩・長州藩)は、その政治経済上の基盤づくりを行うため徳川宗家の領地を奪取しようと考えていたが、この法外な要求を簡単に認めることは朝廷側も考えていなかった。そこで、薩摩藩は徳川家の根拠地である江戸で挑発にでた。これに対し、徳川慶喜は翌慶応4年1月、「討薩表」をかかげて上洛、彼我の力関係の逆転を狙い、ここに鳥羽伏見戦争が始まった。幕府軍の主力は会津藩と新選組であったが、4日間の激戦の後、幕府軍は江戸の品川宿へ敗走する。
 同年3月、再起を図った近藤勇は甲陽鎮撫隊を組織し甲府へ向うが、手前の勝沼において官軍先発隊と遭遇戦を展開し、再度、江戸へ敗走する。
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